Writen by 西元アナ様
西元アナのしゃべりはスバラシイ!!
大会の盛り上がりには
欠かせません!
実はこっそりファンだったりします♪
口(いや正確には、“キーボード打つ指が”かな?)滑ってしまって、レポートを書くことになりました西元です。掲示板にて軽々しく、“ナイジェリア(RFY大将の克利選手)との出会いを書きましょうか”と書き込んでしまったがために、ちょっとプレッシャー感じています(笑)。
そういえば、ナイジェリアの師匠?の内藤源さんのHPで、紹介を書く事が決まった時も同じような感じで決まったような気がします。 その前に自己紹介を少々。
私は今のジムカーナの選手には馴染みは薄いかもしれませんが、全日本のスピード競技(1種ジムカーナ/2種ダートトライアル)を中心に、地区戦・大学イベントまでアナウンスをしており、また自分でも(速くはないけど)ダートをしつこく走っている西元です。
全日本アナウンスは1989年位(当時は全日本ではなく、前身のツアーシリーズ)が最初ですから、かれこれ15年以上となりますね。これをお読みの皆さんは、免許を持っていなかった人も多数でしょうし、小学生・中学生だった人もいるでしょうね。時が経つのは早いものです。
F1ドライバー ナイジェル・マンセル
さて本題です。
ナイジェリアを初めて知ったのは、我が師匠の一人である中村一伸氏(元全日本ジムカーナ選手&86レースドラ、孫もいる現在でもSW20でサーキット走行会で暴れる不良ジジイ)の言葉でした。・・・・そうそう、ナイジェリアは中国地方では“カツトシ”“かっちゃん”などと呼ばれていますが、影では“ナイジェリア”と呼ばれています。命名は内藤の源さんです。
旧三井コースでの全日本ジムカーナ決勝の朝、源さんが話し掛けてきました。
「西元君、山本君を今度から『ナイジェリア山本』って呼んであげて。好きなドライバーは“イチかバチかのナイジェル・マンセル(ご存知当時F1トップドラ)”って言おうとして、“ナイジェリア・マンセル”って言っていたよ。『ナイジェル山本』って放送して欲しいんだろうけど、『ナイジェリア』でいいよ!。」
私も素直な性格だし、先輩の源さんにアドバイスされたのならばと、それから10年以上そう言い続けています。そうそう、今年の全日本ジムカーナ中国(MINE)は不出場だったので、“ナイジェリア!!”ってアナウンスできなかった事を寂しく思います。
さて本題に戻しますが、中村一伸氏が
「九州に、どえらい才能を持ったドライバーがいる。」
と教えてくれました。レース一家に産まれて、車の挙動を感じるセンサー・動かし方も素晴らしいが、注目すべき所は高速域でのドライビングは、最高のセンスを感じるドライバー・・・・と、一伸氏には珍しくべた褒めだったのを覚えています。
当時から(当然今も)走るセンスの無かった私には、羨ましく感じる才能の固まりのようです。きっとすらっと背が高く、キリリとした精悍なマスクのいい男なのかな?と勝手な想像を膨らましていました。と言っても、ホ○じゃ無いからそれ以上の期待も無かったですが(笑)。
KP61で疾走するカツトシ氏。
九州地区チャンピオン戦で6連覇を
成し遂げました。
初めて顔を会わせたのは、1989年?の九州ツアーシリーズかな?。もう15年前です。私も20代前半で、ナイジェリアも二十歳をちょっと超えたくらいでしょう。多分某T社のメカニックをしていて、将来はオヤジの店を継ぐんじゃ!と言っていた若造でした。車はハイエースかランクルだったと思います。
一伸氏を通して紹介してもらったはずです。今でも覚えているのは、最初の予想の背の高いスラリとした・・・ではなく、背は私と同じくらいで高くなく(いや、むしろ低い)、でも身体は無駄な脂の無い筋肉質(これが後の鯉のぼりにつながるんです)、顔は悪くは無いのですが(と書かないと後が怖い・・・笑)とにかくヤンチャ顔。
ガキ大将がそのまま大人になった感じです。そうそう、当時からタバコは吸っていなかったな。
今ナイジェリアの子が彼にクリソツなのですが、この子も多分30年後はこういう顔になっていくのでしょうね。
この頃ナイジェリアが操っていたマシンは、C1クラスの真っ赤なKP61スターレット。皆知っているのかな?。
真紅のボデーに白の炎のようなラインが入った(ちょっと前のベネトンF1みたい)マシン、ホイールはMk−Uだったかな?で連勝街道驀進中だったようです。 が、走りに納得がいかなければ親戚(レース一家の)に怒られていたようです。レース経験者のマシンだけに軽量化には気を使っており、シートはファイバーかアルミ叩きだしのフォーミュラーかカート用の改造品だったような気がします。詳細はナイジェリアに聞いてみないと分かんないな。
暑い公開練習が終わって広島選手団は皆、O牟田ガーデンホテルに入りました。ナイジェリアも同じホテルでした。晩飯も一緒に食べようとなり、シャワーの後ロビーに集合です。遠くに行くのは面倒臭いので、ホテルのビアガーデンでとなりました。
当時ツアーシリーズがはじまったばかりで、選手間の横のつながりは今ほど強くなかった・・・と言うより、他地区の選手をほとんど知りませんでした。某PD誌では毎月グラビアでC地区チャンピオン戦を取り上げていましたので、関東地区は有名選手が多く、その選手を地方選手が迎え撃つという感じがツアーシリーズだったのです。
O牟田ガーデンホテルの屋上ビアガーデン会場にも、その雑誌の選手がたくさんいました。が、それ程知り合いでもなく、固まり固まりで分かれて飲んでいました。が、来ている服は皆、メーカーのTシャツやポロシャツで、一目でそれとわかるものでした。今も昔も選手って、メーカーのTシャツがお出かけ服なんでしょうね・・・それが一番カッチョ良いと思っているのかな?・・・いや、単に貧乏なのかな?。
ピッチも上がり酔いが廻ると、行儀が悪いのは(我々含む)地方ドライバー。雑誌で見たことある選手に向かい、「あんた知ってるデ!!。」と馴れ馴れしく絡むのは当り前。ひどいのは自分の席に関東選手を呼びつけて、「わしの酒が飲めんノンか!。」と拉致する者まで出てきた(当時のC1サニー新堀&瀬戸コンビの新堀選手は、「あんた細川たかしに似とるね。」と肩を組まれて、非常に迷惑そうだったのを覚えている)。
燃焼系燃焼系・・・・・・
こんな感じだったんでしょうか・・・・・
是非、生鯉のぼりを見たいです!
飲み始めて約1時間、中村一伸氏がこう言った。
「こいつすごい技できるらしいで。」
と、ナイジェリアを指さす。耳まで赤くなったナイジェリアは、よっしゃ!!と言いながらオシボリで手を拭くと、おもむろにビアガーデンのテントの支柱を握りだした。ビアガーデン中の客・・・いや、言い過ぎたな、ジムカーナ関係者が皆、じっとナイジェリアを見つめる。右手は地上から50cm、左手は1mの所をつかんで、“おりゃ!!!”の掛け声と共に真横になった。
そう、“燃焼系、燃焼系・・・・”のCMの登っていかない真横バージョンです。
一瞬の静寂の後、ドーオオオオという深い唸り声と拍手の渦が、O牟田ガーデンホテルのビアガーデン中に響きわたった。
アンコールの声にナイジェリアも調子に乗ったが、体力的には20秒の1ヒート、2ヒートは10秒、3ヒートは3秒で真横にはなれなかったような覚えがある(笑)。
ナイジェリアの鯉のぼりによって、一気に皆が仲良くなったような気がしたビアガーデン。部屋に帰ってもその興奮は収まらなかったのを覚えています。
明けて決勝のことは、そんなに覚えていないんですよね。ナイジェリアは筋肉痛のためか、あまり成績よくなかったんじゃないのかな?(というより、当時のナイジェリアはパイロンターン・・・特に180度以上となると、本当に下手くそだった。
それでも入賞するのだから高速セクションのタイムは異常に速かったのです)。山口のT選手は飲みすぎで上から下から噴水攻撃で、ジムカーナにならなかったらしい。その影響か、このフェスティバル−ゲ○男は昨年度のNAITOオールドスターにも参加したが、そこでももの凄い逸話を作ってしまった(詳細は怖くてかけません、どうしても知りたい方は、NAITO管理人さんまで)・・・。
そうそう思い出しました。1991年かな、JAF CUP(長野県 ラリーキッズ伊那)で、こんな事がありました。
九州代表で出てきたナイジェリアは、超軽量化作戦に出ました。ホイールのナットで4穴中2個しか付けない作戦です(良い子の皆は真似しないでね)。でも出走前に見つかって、オフィシャルに危険と判断されて出走不可になりました。
そのとき予備のナットを持って、伊那の上段パドックからスタートラインまで全力で走っていったのは、私です。
でも出走は許されませんでした。ナイジェリアは激怒していましたが、仕方ありません。翌月のPDにこう書かれました。“おっちょこちょいのメカニックの、ナットの付け忘れによる出走拒否・・・、慌ててメカニックがナットをつけようとするが、それも断られて不出走・・・メカニックのミスで・・・”、それってナットを持って走った私の事を書いていたのでしょうか?。無実の罪じゃ!!。
表彰式の様子です。
克利さんの右側にいらっしゃるのは、
みかんの国の穴日記
でおなじみ?の
ヤツヅカ氏です。
2年前、全日本MS表彰式(東京;赤坂)に出席しましたが、羽田空港でも会いました。この年ナイジェリアは積極的に全日本参戦し、ランキング2位だったのです。
チャンピオンは四国の【G】選手ですが、仲良く楽しく真剣に勝負したようです。スーツ姿のナイジェリアも、格好良かった・・・と記しておきます。ちなみに赤坂のホテルでは、鯉のぼりはしていませんでした。
私が彼の走りについて語るの僭越ですが、運さえあれば相当のレベルのスタードライバー(それこそGTなんか)にもなれたかも知れません。が、ならなかったのは、ナイジェリアらしいなと思えます。
別に悪い意味ではないのですが、ナイジェリアにはナイジェリアのオーラがあって、それは☆のようなオーラじゃない親しみやすいモノなんですね。今では年に1回、会うか会わないかなんですが、会えば何の隠し事も無く腹を割って話のできるいい仲間です。
今年の九州の全日本でも、車両規定の関係で最後の年になるだろうGA2にて、見事優勝を果しています。噂によると、練習日や公開練習無、挙句の果てには第1ヒートまで脱輪して、本当に一発勝負で優勝したとは、まさに心の師匠ナイジェリア・マンセル並のバクチ走法健在ですが、互いにおじさんになりました。
人生のバクチはもう打てませんね(笑)。
イベント一覧へ戻る
Copyright (C) 2004 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.
Racing Factory YAMAMOTO since2002